「私は何もつくれない」という思い込み

スペイン・バルセロナで訪れたガウディ建築のアパートメント、カサ・ミラ。遊び心のある細やかな装飾や配色が印象的。100年以上前の建築だなんて信じられない。
自宅をリノベーションしたとき、特に力を入れた場所が、浴室だった。
私が購入したのは、70年代に建てられたマンション。
購入時には、ごく一般的なユニットバスが入っていたのだけれど、どうしても、あの画一的なユニットバスを好きになれなかった。
既製品の中で壁の色を選べるとか、浴槽の形を選べるとか、そういうことではなく、素材も水栓も、何なら空間全体のデザインも、すべて自分の好きなようにしたかった。
そうなると、ユニットバスというパッケージの中から選ぶのではなく、浴室そのものを一から考える必要がある。
そこで選んだのが、「在来工法」だった。
浴室の在来工法とは、床や壁に防水処理を施し、タイルや石材などを現場で施工して仕上げる昔ながらの方法のこと。工場でつくられた部材を現場で組み立てるユニットバスとは違い、空間の形や素材を比較的自由に組み合わせることができる。
これなら、自分が思い描いていた浴室に近づけられる。そう考えて、設計を進めていった。
とはいえ、ここはマンションの一室。戸建てのように何でも自由にできるわけではない。
通常、マンションをリノベーションする場合、工事内容を管理組合や管理会社に提出し、事前に承認を得る必要がある。
私の浴室計画を見た管理会社の人から返ってきたのは、こんな言葉だった。
「現在、ほかのお部屋はすべてユニットバスなので、在来工法の浴室は前例がないんですよね」
前例がない。
そう言われると、なんだか私は、誰も試したことのない斬新なお風呂をつくろうとしているように聞こえる。
けれど、少なくともこのマンションは、建てられた当時は在来工法の浴室だった。
つまり、正確には「前例がない」のではなく、「かつては普通だったけれど、今では誰もやらなくなった」に近い。

我が家のお風呂。写真には写っていないけれど、バスタブの向かいにシャワーブースと洗面台が。実は細かいところで、お掃除がしやすい形状にしている。好きなお風呂の入り方や、お掃除で気になるところは人それぞれなので、私にとってはこのカタチがベストだった。(日本はユニットバスが主流のため、水栓などの部品は選択肢が限られていたけれど……)
昔の「普通」が、今では「例外」に
ところで、ユニットバスは、いつからここまで「普通」のものになったのだろう。
気になって調べてみたところ、このTOTOの資料にたどり着いた。
日本で業界初の「ユニットバスルーム工法」が開発されたのは、1963年。翌年の東京オリンピックに合わせて建設されていた、ホテルニューオータニのためだった。
1,000室を超える客室の浴室を、限られた期間内で完成させなければならない。そこでTOTOは、工場で製造した部材を現場で組み立てる工法を開発。
この工法によって、工期は従来の10分の1に短縮され、1,044室分を、工場での製作から現場への設置まで約3カ月半で完成させたという。
その後、ユニットバスルーム工法は、1966年には集合住宅用、1977年には戸建住宅用の商品が発売され、現在では日本の浴室のおよそ9割(!)を占めるまでになった。まさに、必要は発明の母。
こうして、私たちにお馴染みのユニットバスは「新しい工法」から、「もはや説明するまでもない普通の住宅設備」となる。
ここまでユニットバスが日本の住宅に広がったのには、明確な理由がある。施工する人にも、建物を管理する人にも、実際に使う人にも、それぞれに大きなメリットがあったのだ。
現場で一から施工するより工期が短い。
品質を一定に保ちやすく、漏水のリスクも抑えられる。
交換やメンテナンスの方法も確立されている。
こうした利点の積み重ねが、ユニットバスを単なる一つの工法ではなく、浴室の「標準解」にしていった。
一方で、お風呂が現場でつくられるものから、工場で完成度を高めたパッケージへと変わったことで、「誰が、どこで設計するのか」も変わっていった。
在来工法が主流だった頃は、設計者や施工者が、建物の広さや構造、その現場の条件に合わせて、浴室をどう納めるかを考えていた。
それがユニットバスになると、浴室の構造や仕様の大部分は、あらかじめ住宅設備メーカーによって設計されることになる。
つまり、浴室をどうつくるかという判断の多くが、建築の現場から、商品を企画・開発するメーカー側へと移ったのだ。
その結果、用意される選択肢は増えた一方で、その選択肢を入れる箱そのものから考えることは、「特殊」「高級」「オーダーメイド」といった、日常から少し離れたものと見なされるようになった。
「つくる人」と「買う人」
洋服もまた、時代とともに大きく様変わりしたモノの代表格だ。
私の祖母は、若い頃、自分で服をつくっていたという。
今の私からすると、洋服を一着縫えるだけで、かなり専門的な技術のように思える。けれど祖母の世代にとっては、服をつくることが今よりずっと日常に近かったのだろう。
では、いつ頃から、服は「つくるもの」ではなく「買うもの」になったのか。
立命館大学 木下明浩教授のレポートによると、1965年の調査では、女性用スカートは自家製が43.2%、既製服が33.6%で、まだ自家製のほうが多かった。
それが、わずか5年後の1970年には、既製服69.3%、自家製20.2%と逆転している。
そして、1982年には、既製服が97.3%、自家製は1.3%に。1%ってほぼゼロに等しい……。
このように、たった数十年の間に、スカートは「家でつくるもの」から、「店で選んで買うもの」へと完全にシフトしていった。
この変化の背景にあったのが、大量生産を可能にした製造技術の進歩だ。
大量生産が暮らしの中に浸透していった70年代は、日本に本格的な消費社会が到来した時期とも重なる。
1971年には、日本マクドナルドの1号店が銀座にオープンし、同年にカップヌードルが発売された。1974年には、セブン‐イレブンの国内1号店が誕生する。
ものをつくる工程の多くが、家庭や職人の現場から、企業の工場へと集約される一方で、生活者である私たちは、ものが形になる過程から少しずつ遠ざかっていった。
そして、多くの一般市民は、完成した商品の中から選んで買う「消費者」としての役割を強めていった。
完成品の中から選んで買うことが当たり前になった現代では、自宅で服を縫えば「趣味のハンドメイド」と呼ばれ、自分の身体に合わせて一着ずつ仕立ててもらえば、「テーラーメイド」という特別な選択肢になる。
こうして、かつて暮らしの中にあった「つくる」は、日常の営みから切り離され、「趣味」「専門職」「贅沢品」の側へと移っていった。
私は「つくる人」ではない?
先日、ビジネス+文化のデザイナーである安西洋之さんとオンラインで話す機会があった。
その中で「つくる(Making)」ということについての話題になり、私は、安西さんにこんなことを話した。
「私にとって、“つくる”という言葉は、少し距離を感じるんです」
私が「つくる人」と聞いて思い浮かべるのは、手先が器用な人。絵を描ける人。設計図を引ける人。頭の中にあるイメージを、プロの技術で実物にまで落とし込める人。
そして何より、それを誰かがお金を払って買うくらいの水準まで仕上げられる人だった。
デザイナー、アーティスト、クリエイター。
そういう肩書きを持つ人が「つくる側」で、私は完成したものを見て、選び、買う側にいる。
ところが安西さんは、少し意外そうに、こんなことを言った。