とある「音」で気づいた、大人になることの意味

キューバの宿にあった古いピアノ。昔のまま時が止まったような空間に、何とも言えない気持ちが込み上げました。
静かなキューバの思い出
2019年の春、私はキューバの首都、ハバナを訪れていました。初めて体験する社会主義の国。チェ・ゲバラやカストロなど断片的な知識はあるものの、何だかベールに包まれていて、少し怖い印象がありました。一方で、サルサ音楽で有名な国なので、街中はラテンのノリでさぞや賑やかかもしれない・・・そんな想像も巡らせていました。
ハバナに到着したのは4月末。現地で何をしようか考えていたところ、ちょうど5月1日に、盛大なメーデーのパレードが開かれると聞き、せっかくなのでそのパレードを体験してみようと思い立ったのです。
そして迎えた2019年5月1日。メーデーの朝、街中で様子を見ていると、多くの市民がパレードの中心地である革命広場に向かって歩いていました。広場に近づくほど、徐々に人の波が大きくなり、気がつくと、いつの間にか巨大なパレードのうねりの中に入っていました。
このパレードはキューバで一番大きな催し物で、なんと約100万人が参加すると言われています。そんな大規模なパレードを体験しているとき、私はとあることに気がついたのです。
それは、人がたくさんいるイベントなのに、交通整備や誘導のアナウンスが聞こえなかったということ。みんな慣れたようにスーーーっと広場まで歩き、パレードが終わったら、またスーーーっと何事も無かったかのように帰っていきました。適度な談笑や音楽の演奏などの賑やかさはありましたが、イベント特有の、アナウンスの騒々しさが無かったのです。
これが日本の花火大会やコンサート後の帰り道ならば、
「はーーーい!押さないでゆっくり歩いてくださーーい!!ここでストップして車通してくださーーーい!」と誘導員の張り上げる声が聞こえるところ。
ハバナのメーデーは100万人規模のイベントなのに、ものすごく平和で、カオスとは無縁な形だったことが、今でも強く印象に残っています。

意外と和やかな雰囲気だったメーデーのパレード。ちなみにその日、日本では平成から令和に変わる歴史的な日でした。
あの音が無かったパリの一大イベント
ハバナのパレードに参加した7ヶ月後。2019年から2020年に切り替わる瞬間、私はパリのシャンゼリゼ通りで開催される年越しカウントダウンに参加していました(なぜかこの年は、その後のパンデミックを予期していたかのように、海外に積極的に行っていました。仕事は忙しかったけれど・・・)。
キューバに続き、異国でのイベント体験。ここでも驚いたのは、日本のように大声を張り上げる誘導員がいなかったこと。世界中からの観光客でごった返していましたが、厳しいアナウンス音は聞こえず、みんな自然と集まり、ひととおりワイワイした後で、また自然とそれぞれの宿(家)に帰っていきました。
このキューバとフランスでのイベントを体験して、ふと思ったことがあります。それは、海外の街中では、注意を促すアナウンスの声を聞いたことがほとんど無いということ。駅やバス停でも、次の停車地のアナウンスはあるものの、それ以外はほぼ無音、という場合が多いのです。キューバのような社会主義国でも、フランスやその他各国の資本主義国でも、日本ほどのアナウンスの多さを経験したことはありませんでした(警察や警備員がいる時はありますが、大きな声でアナウンスすることはほぼない)。

みんなこの時は知る由もなかった、2020年の惨事・・・。
意外と騒々しい日本
それに対して、日本の生活で個人的に気になるのは、過剰にアナウンスの音が多いこと。大勢が集まるイベントだけではなく、エスカレーターに乗れば「手すりにお掴まりください」、電車や新幹線に乗れば「駆け込み乗車はおやめください」、「列車が入ります。黄色い線よりお下がりください」、バスに乗れば「次の停車は○○駅前です。お客様にお願いいたします。バスのすぐ後ろや前を通ると非常に危険です。安心の歯科治療なら、○○駅前から徒歩3分の○○歯科にお越しください(広告)・・・」と、ずっと何かしらのアナウンスが流れています。
音だけでなく、駅や施設に注意書きの貼り紙やポスターが異常に多いのも気になります。日本の街並みで残念なところは、視覚的にも聴覚的にも注意書きやアナウンスが多く、静寂や風情を感じづらくなっている点だと思っています。

先日訪れたお花見シーズンの中目黒。誘導員の方の掛け声と、注意書きの札で溢れていました。この写真は人がいなくなった瞬間に撮ったものですが、実際は立ち止まって桜との写真を撮る人が多かったです。まさに「赤信号みんなで渡れば怖くない」現象。
大人扱いと子ども扱いの差?
なぜ、一般的に日本は海外と比べてアナウンスが多いのでしょうか。考えられる理由のひとつは、以前のニュースレター「日本にこっそりと存在しているダサい落とし穴」にも書いたのですが、過剰に品質や安全性を求める文化があるから。企業側は一つも不備があってはいけないし、お客様からのクレームがあれば無視できない。その完璧主義(あるいは責任回避)の姿勢から、アナウンスや注意書きが多くなるのかもしれません。
もう一つ考えられるのは、自主性の違い。海外の多くの国では、良くも悪くも自分の行動に委ねられていることが多い。それに対して日本では、皆が同じ行動をして、秩序を守ることが良しとされることが多い。
言い換えると、海外では人を大人としてみなすので、「いちいち言わなくても自分で考えて行動できるでしょ」というスタンス。日本は、相手が大人であっても、小さな子どもに向かって「決まりなんだからこの通りに行動しなさい」と諭すようなスタンスです。
言わずもがな、それぞれの国や場所の状況によって事情は異なりますし、あくまでこれは一般論です。そして、一概に海外が良くて日本が悪いと言いたいわけでもありません(ここは毎回強調したい)。ただ、アナウンスという点については一種の過保護さを感じてしまうのです。