「あなたへのおすすめ」に囲まれた世界

アルゴリズムの外に出て、自分の感覚を取り戻すという行為について考えたこと。
favvy 2024.12.27
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今年大幅にデザインを変えてみた、我が家のダイニングスペース。部屋の隅っこにダイニングを移動して、ずっと挑戦したかったコーナーバンケットのスタイルにしてみました。

今年大幅にデザインを変えてみた、我が家のダイニングスペース。部屋の隅っこにダイニングを移動して、ずっと挑戦したかったコーナーバンケットのスタイルにしてみました。

2024年もあっという間に過ぎ、気づけば年末。この時期になると、「今年はどんな年だったかな」と振り返ることも多くなると思います。そんな時ふと気づくのは、情報に流されるような日常。スマホを手に取っただけのはずが、次々と流れてくる動画や投稿に引き寄せられて、あっという間に時間が過ぎてしまう……。そんな経験をお持ちの方も少なくないかもしれません。

今回は、今年を締めくくるテーマとして、そんな「情報の波」に身を任せてしまいがちな生活について考えてみたいと思います。

その選択は本当に自分の意志によるもの?

仕事が終わり、ソファに腰を下ろしてなんとなくYouTubeを開く。昨日、途中まで観た動画が自動で再生される。「まあいいか」とそのまま見続けているうちに、関連動画が次々と流れてきて、ちょっとだけの休憩のつもりが、気づけば1時間過ぎている。

洋服や雑貨を選ぶとき、SNSで見かけたアイテムを「いいな」と思い、ポチッと購入する。

NETFLIXなどの配信サービスで映画やドラマを観ようとするとき、まず目に飛び込んでくるのは「あなたへのおすすめ」としてすでに選ばれたラインナップ。

エンターテイメントも買い物もネット上で完結することが当たり前になった現代では、こうした場面に心当たりがある方も多いのではないでしょうか。

これらの行動は、一見、自分の意志で選んでいるように思えます。しかし、ふとした瞬間、「本当にこれは自分で選んだものなのだろうか」という疑問が頭をよぎることはありませんか?

昔と今の「流行に乗る」という感覚

少し昔を振り返ると、何かを選ぶという行為には、もっと「自覚的なプロセス」があったように思います。たとえば、雑誌をめくりながら「今年のトレンドはこれか」と認識し、それを取り入れるかどうかを自分なりに考える。その過程には、自分の価値観や選択意識が明確に関与していました。「あえて流行に乗らない」という選択もまた、自分で考えた結果としての行動でした。

現代にも流行は確かに存在しますが、そのあり方は大きく変わっているように思えます。SNSやネット上のコンテンツは、アルゴリズムによって一人ひとりの行動や好みに応じて最適化され、次々と提示されます。その結果、流行は「みんなで共有するもの」から、「個人のタイムラインの中で成立するもの」へと変化しました。一見すると、自分の意志で選んでいるように思えるかもしれません。しかし、その選択肢自体があらかじめアルゴリズムによって限定されていることに気づかないこともあります。

アルゴリズムの仕組みは、膨大な情報の中から「自分に合うもの」を効率よく見つける点では非常に便利です。失敗やハズレが少なく、選ぶ手間も省いてくれます(私も日々、アルゴリズムに助けられています)。しかし、その便利さの中で私たちの選択は、知らず知らずのうちに「テクノロジーによって提示された枠」の中に閉じ込められ、新しい視点や価値観に触れる機会が少なくなっているようにも感じます。

かつて流行を取り入れる行為は、自分の感性や価値観と向き合い、それをどう表現するかを考える機会でもありました。しかし、現代の流行は、私たちが「自分で選んでいる」と感じながらも、その背後でテクノロジーによって形作られている――そんな側面を持っているのかもしれません。

『すばらしい新世界』

この流れで思い出すのが、1932年に発表されたオルダス・ハクスリーのSF小説『すばらしい新世界』です。この物語の中では、人々は快適で安定した生活を送っています。遺伝子操作で役割が決められ、幸福という感情は「ソーマ」という薬で補完される社会。そこには秩序が満ちていて、「カオス」や「予測不能な選択」は存在しません。

挑戦的な視点や偶然の出会い、理解しきれないものに触れる機会がないこの世界では、芸術や深い感情を伴う体験は不必要なものとされ、日常は完全に最適化されています。この「カオスのない世界」は、一見すると心地よさそうに見えますが、人間らしい自由な選択や多様な価値観が失われた、閉じられた世界でもあります。

悩みや苦しみのないクリーンな生活――それは本来ユートピア(理想郷)であるはずです。しかし、この小説では、そのクリーンな世界の裏に潜むディストピア(暗黒郷)の本質を鋭く描いています。

さすがに今の私たちの世界がそこまでではないにしても、現代のアルゴリズムが支配する仕組みの中に、この「カオスの欠如」が少しずつ広がっているように感じます。提示された選択肢の中から選ぶ行為は、たしかに「失敗」や「ハズレ」を避ける手段として優れています。「予想外」の事態に戸惑うこともありません。

けれど、その快適さと引き換えに、自分にとって未知の価値観や新しい視点に触れる機会を失っているかもしれない。そう思うと、心地よさだけに頼ることが、本当に人生にとって豊かな選択なのか、少し立ち止まって考えたくなるのです。

アートという聖域

では、どうすればこの「テクノロジーから提供される選択肢」の枠を超えて、未知の視点や価値観に触れられるのでしょうか?

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