言語化することで、こぼれ落ちるもの

フィンランド・ヘルシンキにある公共図書館「Oodi」。 国際図書館連盟(IFLA)による「2019年 パブリックライブラリー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、“世界一の図書館”とも称された場所。くつろげるソファのあるラウンジ、キッズスペース、3Dプリンターや音楽スタジオまで備わっていて、あらゆる面に「知のスペース」の理想が詰まっているような空間でした。
こんにちは。『FAVVY - センスを育てるヒント- 』運営者のMiwakoです。
先日は、毎年楽しみにしているアートイベントに行ってきました。それは『KYOTOGRAPHIE』。世界中のアーティストの写真作品が、京都の町家やお寺、近代建築などを会場に展示される、日本で最大規模の写真芸術祭です。私が訪れるのは、今年でたしか4回目。展示そのものの面白さはもちろん、京都の街を歩きながら、建築とアートが響き合う空間を体験できるのが、このイベントの醍醐味でもあります。
今回も、パンフレットやウェブサイトを眺めながら、どこの展示を見に行こうかと考えていたときに、ふと一枚の写真に目が止まりました(この写真です↓)。
どこに惹かれたのか、自分でもよくわからない。構図? 光? 被写体の佇まい? 言葉にしようとすると、うまくつかめないけれど、なぜかこの作品をずっと見つめていました。直感的に「なんか、いいな」と思ったのです。
その後に訪れた展示会場では、こんな解説が添えられていました。
1950年代から1960年代にかけて北米で撮影されたこれらの写真には、第二次世界大戦後の経済復興と冷戦の緊張感が反映されています。しかし、この時代は人種差別問題や公民権運動真っ只中の時代でもありました。リー・シュルマンとオマー・ヴィクター・ディオプは、画面の中に本来は写っているはずのない黒人の姿を紛れ込ませることによって、これらの写真に映し出された一見何気ない光景に介入を試みます。このプロジェクトは、写真に漂う純粋無垢で美的なイメージを揺るがし、人種や階級、歴史的排除に対する強力な批判として提示しているのです。
つまり、この写真には、人種差別を中心とした社会的なテーマが横たわっていたのです。
もし今後、この写真を誰かに勧めるとしたら、私はきっとこう話すのだと思います。
「この写真は、実は人種差別がテーマで……」と。
でも、本当は、作品解説を読む前に、感覚的にこの写真に惹かれていました。でも、その「好き」の理由を人に伝えようとすると、いつのまにか「後から知った説明」が前に出てしまう。このことに、うっすらとした違和感を抱いたのです。
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